教える側と教わる側の意識のズレ。

市民英語講座へ行ってきました。

前記事で書いたように、

トピックについてしっかり理解していないと気持ち悪いわたしは

入念に講座の準備をして出かけました。

そして・・・

自分が特に気になって入念に調べた箇所について

別の参加者が「どうしてこれは~~なんですか?」と

講師に対して質問を投げかけました。

これは絶対に発言しなければ!と、よけいな気持ちが湧いてきて

つい、手を挙げてしまったことを、

わたしは1日経った今でも後悔している・・・。

なぜなら、

「As far as I searched  and read several articles about this topic on the internet・・・」

(わたしがネットで調べた限りでは・・・)

と、わたしが前置きした瞬間に

ネイティブ講師が、思いっきりそこだけ日本語で

「え~~~?! まじめぇ・・・!」

とわたしを茶化したからです。

どうして笑うの?!

思いもよらなかった彼のリアクションに、

言おうとしていたことが、一瞬すべて飛びました。

がんばって、気を取り直して発言したけれど、

詳細まで調べて話している自分と、

スクリプトの内容だけをみて想像で話している講師とで

話がかみ合うわけもなく、

また、わたしの英語力の低さも加わって

(何しろテーマが人工知能の実験の話ですし・・・)

自分の言いたいことはきちんと伝わらず、

自分もだんだん何を話してるのかわからなくなってきてしまったため

「もういいです。ごめんなさい。先を進めてください」

とだんだん萎縮してきてしまい、ものすごく気まずい形で

勇気を出して手を挙げたわたしのチャレンジは終わりました・・・。

たかが市民講座とはいえ、

先生と生徒の関係じゃないんだろうか。

これが学校だったら・・・

教師に熱意があるのに、生徒がふざけてる・・・っていうのは

あっても、その逆はありえないはず。

「先生、僕調べてみたんですけど」と言う生徒に

「え~まじめ~」なんて笑う教師がいるだろうか???

と思ったら、

腹が立つのを通り越してむなしい気持ちに。

そんなに愚痴ばかり漏らすなら辞めたらいいのに、と

思われそうだけど、

辞めたくはないです。辞めないです(笑)

そういう感情を抜きにすれば

やっぱり今自分が時間をかけてやっている予習は

自分の英語力をつけるには必要な時間だと思うから。

講座という目的があるから、前記事に書いたような手間をかける強制力が働くし。

でも、向き合い方は変えるべきかな、って思いました。

そうやって

自分が誰かに頼まれもしないのに頑張ったことが

誰かに認めてもらえないからといって、いちいち落ち込むのは

精神衛生上よくないので

もう自発的に発言するのはやめよう・・・って。

もちろん、今までと同じスタイルで

しっかりと予習はやります!

自分に順番が回ってきたとき、

自分に投げかけられた問題にだけ、ちゃんと対応して

それ以外は、自分から発言するのはやめる。

今までどうも「せっかく来ているんだから発言しなきゃ」と

思いすぎていたから

うまくいかないことが多かった気がするので

発想の転換をしたほうがいいかなって。

次からはもう、この講座は自分にとって

予習によって「英作文力をつける」「読解力をつける」「語彙力をつける」「スピーキング練習」

講座によって「リスニング力をつける」「語彙力をつける」

・・・・と、なんだかこうやって書くと

ほぼ予習だけで完結してないか?って気もしますが(笑)。

そういう目的で取り組むことにします。


スピーキングのほうは、

スクールの個人レッスンをみっちりやるから、それでいいや。

とにかく自分がイヤな気持ちにならない

続けていく、ということのほうを優先していこうと思います。