英検を受ける意味。

昨日、ツイッター上で仲良くしているフォロワーさんが

あるブログ記事をシャアしていて

それを読んだら、なんというかものすごいモヤモヤ感が沸き上がってきたので

ここでコッソリ吐こうと思います。

そのブログ記事は、進学塾の塾長さん?と思われる方の記事で

ざっくりいえば、一部の私大合格の戦略として「英検準1級」が使えるというもの。

大学受験の話はわたしにはわからない世界なのでそこはどうでもいいとして・・・

 

最初に気になったのは、その方が英検は易化していると言い切ったこと。

「昔の2級が今の準1級相当」

「英検準1級は高校英語がわかれば解ける」

と、なんだかものすごく準1級をバカにしているというか、なめているというか

過小評価しているというか・・・・そんなニュアンスで書いていることに

ちょっと衝撃を受けてしまったわけです。

 

別にわたしがここで吠えることではない話ですが(笑)

準1級について「解ける」という言い方をするところがもう認識が違うような。

 

英検は級が上がるにつれて「解ければ受かる」試験ではなくなります。

2級以下についてはよくわかりませんが

準1級となると、リスニングだけでも相当レベル上がります。

 

ライティングは、社会問題、環境、科学分野についての問題が出されるので

それについての自分の意見を、根拠となる理由を2つ挙げて

時間内に迅速に書き上げなければなりません。

もうその時点で、「英語力以外のもの」が求められるんですよね。

普段のさまざまな政治経済・環境・社会問題にアンテナを張っていないと書けません。

(ちなみにわたしが受験したときのお題は「日本の企業はもっと外国人労働者を雇うべきか?」)

そもそも、今の高校生って英作文の書き方とか学校で習うんでしょうか?

 

英検準1級は・・・特に新形式になってからは、

「得意な科目で苦手科目の点数をカバーする」ということができないシステムになったので

「リーディング」「リスニング」「ライティング」の3科目がすべて合格ラインに

達して初めて1次試験を突破できる試験。

そういう点では、むしろ今の方が突破は難しいと思うんですが、どうなんだろう?

 

そして、二次試験はもっともっと難しいですよ。だって「表現する」試験ですもの。

試験官から4コマ漫画を渡され、即興で2分間で漫画の内容を自分で英語で説明する、

そのあと様々な社会問題などについての意見を求められる質疑応答。

わたしが準1級を受けたのはTOEIC900点超えた後だったし、英会話レッスンも

受けていて話慣れているところはあったので、

対策する前は「まあなんとかなるだろ」くらいにちょっとナメていましたが

いざやってみると「こんなの無理」って毎日悶絶しましたからね・・・。

 

enjoy-englishlife.hatenablog.com

 

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・・・・もちろん、高校生でも合格できる人はたくさんいるでしょう。

でも、準1級にチャレンジする高校生の多くは、大学受験の武器とするためだけに

準1級を受験しているとはわたしには思えないです。

(それは準1級の難易度に対してつぎ込む時間と勉強量を考えたら、という意味で)

きっと、もともと英語に対する意識が高く、英語が好きな子たちなはず。

将来は英語を使える仕事がしたい、とか、いずれは1級を受けたいからそのための

ステップとして・・・とか。そういうモチベーションではないんでしょうか?

 

だって、わたしのように時間のある大人がチャレンジするのとは全く違って、

彼らは他の科目の勉強、学校の勉強、進学塾の勉強・・・と、多くのことを

並行してこなしながら、準1級対策をするわけで・・・・

これはもうすごい時間とエネルギーを要することだと思いますよ。

なんなら、その時間を受験勉強1本に絞ったほうがいいのでは?と思うほどなので

準1級を取ることが果たして「戦略」なのかよくわかりません。

 

準1級対策って、ライティングとスピーキングが超重要なので

オンラインなり、通学なり・・・の英会話レッスン受講なしで突破するのは至難の業ですし。(つまり進学塾とはまた別に時間とお金が必要)

 

だから、最初の話に戻りますが

「〇〇の問題集が読めるなら高校生で準1級は受かる」なんて

そんな単純な話ではないと・・・・・個人的にものすごく違和感を感じます。

 

ツイッターで、よくお話するフォロワーさんに、旧帝大の工学部に通う学生さんが

いるのですが、

(親子といっていい歳の差なのに対等に交流できるのがツイッターの良さだなあと実感)

 

彼は本当に「どうやったらそんなふうに育つのか?」というくらい

常に驚くほど謙虚で、でも努力家で、とにかく素晴らしく優秀な学生さんなのです。

大学の勉強だってきついだろうに、毎日オンラインレッスンを受け、英検1級も

偶然わたしと同時に合格し、今も毎日自分に自主的にノルマを課して、

英語学習を続けています。

(実のところ、わたしは彼の頑張りに刺激されてるところがかなりあります。)

きっと高校生で準1級を受験するのはこんなふうに英語が好きで、

学習意欲の高い子たちだろうと想像するのだけど・・・・違うのだろうか。

 

そして、大学生になっても英語を磨き続ける彼らにとって英検は

受験の道具でもなければ、「英検なんか」でもない。

それを受験する過程で英語力を伸びていくことを実感して

「もっと上を目指したい」と思わせてくれるための、足掛かりなのだと思います。

 

その人にとって、英検が価値がないからといって、

「価値のないもの」「受験の道具にすぎない」と決めつけて発信するのって

どうなんだろうなあ・・・・?と

とてもモヤモヤした・・・というお話でした。