モヤモヤしたこと。

昨日は英検でしたね。

わたしはもちろん?受験しなかったです。以前も書いたように、7月の二次試験で

予想もしなかった高スコアを出してしまったので、達成感を超えて燃え尽き状態に

なってしまったので・・・しばらく英検は受けないと思います。

 

それでも、準1級&1級受験した方たちのツイッターを見るのはすっごくワクワクするんですよね。

 

その緊張感も、不安感も、そしてここまでどのくらい毎日頑張ってきたかも

手に取るようにわかるので、

「そうだよねえ、うんうん」とか「その自己採点なら大丈夫だから二次準備してーー!」とか

スマホの画面に向かって呟いてます(笑)

時にはアドバイスをしてあげたくなることもあるけれど・・・・ツイッターの世界では

英語猛者がウジャウジャいるので、そんなところでわたしごときが

偉そうに言える立場にないなあ・・・と思い、いつも黙って見ているだけ。

 

でもね、すっごく気になることを呟いている人がいて・・・。

「そうじゃないー!」って心の底から叫びたくなったツイートがあったのです。

 

もうひとりで勝手にモヤモヤしちゃって。

昨日準1級を受験したものの、どうやら全く太刀打ちできなかったようで

その悔しさから出た言葉だと思うけれど

「英検では英語話せるようにはならないとわかった」

というもの。

 

準1級になると、語彙の難易度が2級から跳ね上がるし、長文も難しくなるし、

リスニングも最初はイミフメイ・・・だと思います。

「自分は流暢に話せるようになりたいだけであって、こんな日常会話に出てこないような難しい英語の試験を受けるのは意味がない」

と、多分そう感じたようなのだけど、そういうことじゃないのに悲しい。

 

きついことを言ってしまえば、英検でも、TOEICでも、そのために自分がどのくらいの

時間を労力を費やして勉強をがんばるか?によって、

その先の結果は変わってくるわけで、その目標に向かって努力する過程で

リスニングも、リーディングも、スピーキングも力がつくのであって、

何の努力もせずに合格できると思ったらそれは考えが甘すぎるし、

そのために努力をしていないのに(その人はほとんど対策せずに受けたらしい)

「英検には意味がない」とか、言わないでほしい本当に。

 

そして、その人は英検に受かるための努力を放棄した一方で

「どうやったら英語力がつくんだろう、TOEICのほうがいいのかな」と言っていました。

でも、ひどい言い方かもしれないけれど、その人はきっとTOEICも頑張れないし、

そしてTOEICでスコアが取れなかったときに

TOEICも意味がない。資格なんて意味がない」と結論づけるのだろうなと思います。

TOEICだって、まず試験の形式に慣れるところからのスタートだから、

初心者はあの分量に圧倒されてイヤになってしまうと思うし・・・・

そこを乗り越えて「自分を超える楽しみ」を見出した人だけが

ハイレベルにたどり着くための努力を続けられるし、

自分にとってのゴールを追いかけることを楽しめる試験だから・・・・

「努力」は嫌だけど「結果だけ欲しい」人にはもう試験自体が向いていないと思います。

 

英語の資格に対して、意味があるかないか?をジャッジする前に、

じゃあ自分はそれに受かるために必死な努力をしたかどうか?を、問いかけてほしい。

 

そこには言及しないで、「英検では話せるようにならない」って断言されちゃうと

え・・・・わたしは間違いなく準1級受けた時より、初めて1級受けた時より、

2度目に合格した時より、今の方が断然話せるよ?

受けるたびに、力がついていった手ごたえを感じているよ?

英検がめちゃくちゃスピーキング力を引きあげてくれたよ?と

反論したくなってしまう。

 

言わないですけどね(なのでブログで吐き出す)笑

 

自分と相互関係の人が言っているつぶやきだったものの、

「いいね」を押す気にもなれず・・・とてもモヤモヤした話でした。