ちゃんと次に進むために。

英検から届く、紙の試験結果はまだなのですが

それを前に、ちょっと自分の気持ちを整理しておきたいと思い

ブログに書くことにしました。

 

昨日の結果発表後、いろんな気持ちがずっと交錯し続けていて

気持ちがスッキリと晴れないのです。

そりゃ、落ちたのだから当たり前かとも思うのですが

次の1月試験に向けて再スタートを切る前に、

一度「きれいごと」抜きでちゃんと自分の気持ちに向き合っておかないと

ダメなんじゃないかなって思ったので、壁に向かって叫ぶつもりでブログに

書いておこうと思います。

試験のことについてはツイッターでも呟いているのだけど

ツイッターだとフォロワー関係にある人達に気を使いすぎてしまって

(つまり、ネガティブな言葉をあまり連投できない)

どうしても前向きな言葉に終始してしまいます。

けれど、本当はもっとグチャグチャとまとまりのない、140字なんかじゃ

おさまらないような複雑な気持ちが行ったり来たりしているので・・・

そういうことはブログに書き綴るのが〇だなと思い、そうすることにしました。

(ブログだったら見たくない人は見に来ないし・・・)

 

 

 

一次試験の結果をまだ知る前のわたしは

「あんなに頑張ったのだから一次試験合格したい」

と思う気持ちと

「二次試験、やればやるほどその深さと広さに打ちのめされていく。たった2~3週間頑張ったくらいで対策できるとは到底思えない。

「最初の2分間スピーチで爆死するかも。どうしよう?何も言葉が出てこなかったら?怖い。逃げたい。もうやめたい。」

 

という恐れる気持と半分半分くらいありました。

そして、二次へのプレッシャーが日に日に増していく中で

「一次試験合格していたとしても、今回の二次試験をあえてパスして、来年3月の二次試験に勝負をかけるつもりで準備するほうがいいかなあ・・・」

 

という考えも頭をよぎりました。

 

けれど、あれほど応援してくれている英会話スクールの担任に「今回はパスします」

なんて逃げ腰なことは到底言えっこない。

ほかのスタッフさんたちからも

「英検がんばってくださいね!〇〇さんなら絶対大丈夫ですよー!」

などと外堀から固められてしまっているプレッシャー・・・。

(↑英検1級を受けるだなんて本当言うべきじゃなかったと猛烈に後悔している)

 

別にカッコつける必要はないはずなのに

ツイッターでも、英会話スクールでも・・・

英検1級チャレンジを安易に公言してしまったことで、

どこか「落ちたらカッコ悪い」という自分の見栄が邪魔をしていた気がします。

それにTwitterなんかは英語猛者があふれているので、

どんどん「わたしなんて全然ダメ」という気持ちに追いやられていく・・・。

 

実はそんなふうに、二次試験に対する見えないプレッシャーにひとり苦しんでいたのは

つまり自分は心のどこかで

「・・・英作文、大失敗してしまったけれど、英検の英作文採点は甘めと聞くし、

なんだかんだとそれなりの点数は取れて、1次は突破できてるんじゃないかな」

と楽観視していたってことなのです。

 

だから、迷いもなく二次対策を進めることもできていたわけで・・・。

 

スマホの画面で結果を確認したときに、絶句したのがその証拠だと思います。

「え?不合格・・・?」って。

 

あれ?どうしよう?本当に落ちちゃった・・・。ギリギリ合格してるんじゃ・・・?

なんて思ってたのに、勘違いだった。ダメだったんだわたし?

と、二次対策のために、テーブルいっぱいに広げたテキストやノートを見つめながら

しばし呆然としました。

 

「わたしバカみたい。一次落ちてたのにこんなふうに必死に二次対策したりして」

と、そんなふうに自分の姿が恥ずかしくもなりました。

 

そんなふうに呆然としながらも、気持ちの方は徐々に「わたし、もう休んでいいんだ」

という安堵感へ変化していきました。

英語学習は1日も欠かしたことがなく、昨年親の介護が大変だった時期ですら

中断したことがないほど。

そして、英検を申し込んだ今年の7月からは、さらに英検シフトへとギアをあげて

ひたすら苦手を克服しようと自分を追い込んでいました。

特に最後の1週間くらいは、毎日8時間やってたと思います。

 

そんな一次試験がやっと終わったと思ったら、ろくに気持ちを休める暇もなくすぐに

取り掛からないといけない二次対策・・・・。

だんだんと気持ちが疲弊していってるのがわかりました。

だから、不合格の結果を知ってから時間差でやってきた

「もう二次の練習やめちゃっていいんだ」という安堵感は心地のいいものでした。

 

しかし、そこからさらに時間が経ってくると・・・

いや、安堵感を感じたのはほんの一瞬で

その後はあとからあとから「悔しさ」がこみ上げてきてしまいました。

ラスト1カ月くらい、自分がどれほど自分を追い込んで勉強しつづけていたか?を

ぼんやりと振り返っているうちに・・・。

 

「あんなに頑張ったのに。合格できないなんて」

 

という悔しさ。

 

初めて過去問を解いた時がいつだったか?はあまり覚えていませんが

正答率はリーディングもリスニングも6割くらいだった気がします。

単語も長文読解もリスニングも・・・・すべてのパートが自分の「弱み」で

何もかも底上げしなければならないレベルだったので

本当に試行錯誤で、バランスよくすべての分野をやらなければいけない大変さ。

 

けれど過去問の正答率が少しずつ上がってきて、

9月の時点ではリーディングとリスニングでどちらも7~8割

安定して取れるようになってきていたので、「これなら合格できるかも!」という

自分が積み重ねて来たことへの自信と、そして期待感でワクワクしていました。

まさに「アドレナリン」が出たようなメンタルの状態で

9月下旬ごろから直前までは、朝から夜寝るまで、空き時間はひたすら勉強、勉強。

それも全然つらくない、むしろ楽しい。

「できる喜び」というやつ。

 

 

と・・・・他では言えないのでここで自分語りしちゃっていますが

自分で自分を褒めたいと思えるほどには必死に努力したと思います。

(ただ、努力の方向性がちょっと間違っていた反省点もあるのでそれはまた結果が届き次第書きますが)

 

そんな自分の孤軍奮闘を思い返していたら、一次不合格と言う結果に対する

悔しさがだんだんと強くなっていって・・・・

悔しくて悔しくてたまらない気持ちに。

 

たぶん、努力と悔しさの度合いって比例していると思うのです。

自分でもうこれ以上頑張れないと思うほど努力したからこそ、悔しくてたまらない。

「ダメもとだし」という気持ちで臨んで得た結果なら、

おそらくわたしは「まあ無理だとは思ってたし、想定内だよね」

とあっけらかんと、この結果を受け止めることができたのだろうなと思います。

 

昔々、息子が競泳をやっていた中学時代に、

県大会で、つかみかけた表彰台に手が届かなかったことがあります。

けれどタイムだけを見れば大幅自己ベスト更新。

帰りの車の中で、「でもよかったじゃん!自己ベスト出たんだし!」と

落ち込む息子を励ますつもりで言ったら、

「お母さんにはわからないんだよ。僕がこの1カ月、どれほど練習したか!
僕がどれほと今日のレースに賭けていたか!」

 

と言われてハっとしたことがあります。

今はあの時の息子の言葉の意味がよくわかる。本当にそう。

「不合格といっても、初チャレンジで大健闘じゃん」と誰かに言われても、

きっとあの時の息子と同じ言葉を返してしまいそうな、それがわたしの今の本音。

 

 

悔しい!心の底から悔しい!

二次の自信は全くなかったけど、

たぶん、合格していたら合格していたで「ああ二次どうしよう」って

オロオロしていたに違いないのだけど、それとこれとは別。

精いっぱい努力したからこそ、やっぱり悔しいのです。

 

所詮、アラフィフ主婦のやり直し英語なのだから

気楽にのんびり、マイペースにやったらいいはずなのだけど、

わたしにとっては、はるか昔の学生時代に残した悔いを取り戻すためのチャレンジでもあるので

やっぱり自分の目標にはこだわっていきたいし、

これからもやっぱり頑張りたいです。

 

 

気持ちの整理をつけるための独り言なので

本当にまとまりのない、ただ気持ちを吐き出すためだけの記事になっちゃいましたが

こうやってネガティブな気持ちを吐き出したら

ようやく新たにスタートできそうな気がします。

 

月英検、もっともっと強くなってさらに英語力高めてリベンジします。